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五山の送り火前夜、愛宕念仏寺参拝後、水曜会

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お盆の最中ですが、明日は8月の京都の一大イベント、五山の送り火が行われます。
東山如意ケ嶽の「大文字」が最もよく知られ、それゆえ送り火の代名詞の如くいわれてますが、そのほかに金閣寺大北山(大文字山)の「左大文字」、松ヶ崎西山(万灯籠山)・東山(大黒天山)の「妙法」、西賀茂船山の「船形」、及び嵯峨曼荼羅山の「鳥居形」があり、これらが、同夜相前後して点火され、これを京都五山送り火と呼びます。

よく地方の方が「大文字焼き」などと呼びますが、京都では「大文字さん」とか「送り火」と呼ぶ厳粛な行事で、間違っても「大文字焼き」とは言いません。w
言えば、お年寄りからは「山焼きちゃうし。」と顰蹙(ひんしゅく)を買います。^^;

「大文字焼き」というのは、京都ではお菓子で、銀閣寺キャンデー店で冬場だけ売ってるどら焼きですが、「大」の焼き印は入ってません。w
お盆の時期には、「大」の字や五山送りのマークが入った包みのお菓子が、お土産用に売り出されます。

有名なところでは、鶴屋吉信の「つばらつばら」ですが、この時期だけ名前と包み紙がかわって「山あかり」というお菓子になっています。w
もちっとした皮でアンコを包んである、どら焼きのようなお菓子ですが、これも「大文字焼き」とは呼びまへんえ。^^;。

送り火の風習は室町時代から江戸時代にかけて、庶民に定着して行ったといわれています。
色々と記録が残っているようですが、送り火は朝廷や幕府が関わる行事ではなく、一般庶民によって始められました。

明治時代までは、「い」「蛇」「長刀」などといった文字も存在したようです。
昔は13もの山で送り火が行われていたとも伝えられています。
明治時代に、明治政府の近代化政策によって、祇園祭と送り火の禁止令が出され中断しました。

しかし、その10年後には、祇園祭と送り火は復活されました。
然るに、資金難などを理由に、第二次世界大戦後は五山だけとなってしまったのです。

明日の夜、「大文字」は午後8時に点火され、5分ずつ遅れて、「妙法」、「舟形」、「左大文字」、「鳥居形」の順に点火されます。
私の家の近くからは、「大文字」と「鳥居形」が良く見えますが、「鳥居形」はちと近すぎる感があります。^^;

五山の送り火はお祭りではなく、先祖の魂を送る大切な宗教行事で、手を合わせることが風習になってます。
仏教的な行事なのですが、「鳥居形」だけは、神道の象徴である鳥居を表してますね。w

昔は仏教と神道を明確に区分せず、神仏混交で、明治維新までは神仏は同居してました。
よって、昔の嵯峨の人たちが、愛宕(あたご)神社への信仰心が強かったことを示すように、近くの愛宕神社の一の鳥居に因んで始められたのでしょうね。

因みに、愛宕神社の主祭神は迦遇槌命(かぐつちのみこと)ですが、本地仏(神様の正体は仏様とする考え方)では地蔵菩薩です。
冥界に迷う者、果ては地獄に落ちた者でも救ってくださる存在ですから、庶民の信仰も篤かったことでしょう。

また、鳥居には結界としての意味合いもありますから、この世からあの世への出入り口として、愛宕の地蔵様へ届けようとする意図もあったかと思います。
昔はこの辺りは「化野(あだしの)」と呼ばれる風葬地でしたからねえ。w

「お伊勢へ七度、熊野へ三度、愛宕さんへは月参り」という言葉がありますね。
近世以降、村々では愛宕講を組織して愛宕へ代参月参りを行ないました。

代参者は祈祷済みの護符と樒を受けて帰村すると、まず村の氏神境内の愛宕社や愛宕灯籠などへ護符を納め、村全戸へ護符と樒を配ります。
愛宕の護符は、家々では竈神である三宝荒神や台所の柱や壁に貼り、樒は竈の上などに置いて火難除けを願いました。

また、子どもが3歳までに愛宕へ参ると一生火災の難を免れるといわれています。
これは祭神の母神である伊弉冉尊(いざなぎのみこと)が迦遇槌命を出産する時に、火傷で亡くなったという故事に由来するものと思われますが、愛宕が産育の神として信仰されていた一面もあると考えられます。

我が子3人も、3歳までにと7月31日の千日詣りに山頂の神社まで連れて登りましたが、誰彼と声を掛けてくれ、援助してくれて、赤ちゃんを抱いて登る夫婦も多数あります。
こちらでは今なお続く当然のような風習ですが、子供連れでは3時間余りは掛かる山道はキツイものがありますよ。^^;

それって、子供を授かった夫婦の通過儀礼で、子供のために苦があろうと成し遂げ、助けてくれる周囲にも感謝すべきことを覚る目的があるのでは?w
愛宕山は百度祓いの行などで幾度も夜明かしをしましたが、子連れで登ったことは忘れ得ぬ思い出になります。

火災除けのお札は、「愛宕大神守護之所」と墨書きされていますが、我が家も多数の家や飲食店同様、ガスレンジの上に貼っています。
別途、神棚には、行をして籠もった時に授かった神符も祀ってあります。

火災除けに山頂の愛宕神社まで参拝するのが無理ならば、霊験あらたかな「火之要慎」のお札で知られるのが、麓にある愛宕(おたぎ)念仏寺です。
愛宕の大神の本地仏は、「火除地蔵菩薩」で、愛宕念仏寺に行くとご対面できます。

この地蔵菩薩立像は、平安時代初期に造られたものですが、愛宕山の麓、愛宕(おたぎ)念仏寺の地蔵堂に祀られています。
本堂は鎌倉中期の建立で、大正時代に東山から奥嵯峨の当地に移築されたもので、重要文化財に指定されています。

今日は、会員さんのご依頼で、この愛宕念仏寺に参拝して、気功と瞑想の特別講座をして来ます。
昭和時代から手作りされた1200体の表情豊かな羅漢さんの出迎えを受け、触れ愛観音さんを撫でて地蔵堂に籠もり、その後本堂でご本尊、厄除け十一面千手観音様と対座させていただきます。

嵯峨野は観光客で賑わうスポットですが、愛宕念仏寺まで足を運ぶ人は少ないので、ゆっくり神仏と対座できるのが良いですね。w
ご住職、西村光栄さんは穏やかで気さく、謙虚なお人柄ですが、永年にわたり、布教活動の一端として作曲演奏を行い、多方面から制作の依頼を受け、様々な行事において演奏活動の場を広げられています。

CDを買ってはオマケをもう一枚もらい、車の中のバックグランドミュージックとしてまた気の講座での瞑想導入に使わせてもらってます。w
毎月24日に行けると、法話と演奏が聴けるのですが、私の場合、顧問先への指示書作成とお届けの最終日に当たり、ままなりませんが。^^;

それでもご縁あって、時ならぬ時にふと訪問して、千手観音をはじめとした神仏と対座して癒されることは悦びです。
今日もお盆行事の一環で、午後1時過ぎから出発して、充実した時間を過ごして来ましょう。

帰宅すればそのまま水曜会に突入ですので、料理は早目に仕上げておきましょう。w
今日の水曜会のメニューは、以下の11品です。
1.水菜とツナの深入り胡麻ドレッシング・アマニオイルサラダ。
2.叩きオクラのネバネバ冷やしだし汁。
3.サバの水煮缶と新玉ネギの黒酢香味野菜ドレッシング掛け。
4.アボカドとクリームチーズの削りカツオ掛け、生醤油で。
5.牛肩ロースステーキのガーリック・エノキ・トマトソース煮、パセリを散らして。
6.霜降りヒラタケとエリンギのガーリック・バターソテー。
7.カレー風味鶏の胸肉とズッキーニ、キャベツのカメリナオイルソテー。
8.赤身卵「どんたま」の温泉玉子、牡蠣醤油で。
9.蒸し大豆、ヒジキ、ブナシメジ、煎り胡麻のリンゴ酢・だし醤油炒め煮。
10.鶏レバーとシメジのバルサミコ酢・醤油炒め。
11.鴫茄子の生姜たっぷり麺つゆ揚げ浸し。