身近な仏教用語

09:ばか、あほう

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馬鹿(莫迦)と阿呆(あほう、あほ)は、よくよく使われている言葉ですね。
比較的、馬鹿は関東で、阿呆は関西で多く使われています。
したがって、関東の人に「阿呆か?」と言ったり、関西の人に「馬鹿か?」と言うと、キツク聞こえるわけです。

「馬鹿」は、「阿呆」よりも広い地域で使われ、意味の範囲も広い言葉です。
例えば、「馬鹿に暑い」「馬鹿正直」「このネジは馬鹿になっている」などと云う意味は阿呆にはありません。
馬鹿にならない(軽視できない)用例でしょ?

馬鹿は、サンスクリット語の無知を表す言葉mohaの音写が語源だとされていますが、現代語で使っている限りは次の5通りの意味があるようです。

1.知能が劣り、愚かなこと。また、その人やその様。反意語は利口。
2.社会的な常識にひどく欠けていること。またその人。用例は「役者馬鹿」「親馬鹿」など。
3.つまらないこと。無益なこと。またその様。用例は「馬鹿を言うなよ。」「馬鹿なまねはよせよ。」など。
4.度が過ぎること。程度が並はずれていること。またその様。用例は「馬鹿騒 ぎ」「馬鹿に風が強い。」など。
5.用をなさないこと。機能が失われること。またその様。用例は、「蛇口が馬鹿で水が止まらない。」など。

言葉や知識も、物も人も、「馬鹿とハサミは使いよう」ですね。
武田信玄の言葉に、「人は少し鈍なるがよし。」と云う表現があります。
ある城攻めのリーダーに誰を抜擢するかという人事で、推挙された人物を評して、「何某は剃刀のように切れる男で、何某は鉈のような切れ味の男よ。鋭すぎる刃は、時に自他ともに触れるものを傷つける。鉈で薪を割るが如き何某を使うがよろしかろう。」と発言したのです。

さて、人を見かけと内容の2つに割って、阿呆と利口に分けてみましょう。
あなたは、見かけ上、阿呆に見えますか?それとも利口に見られますか?

利口に見えて、実際利口なら、損ですよ。
だって、失敗したら自分も傷つくし、信用は損ねるし、こなす度にどんどん無理難題があてがわれてきますからね。

利口に見えて、実際阿呆なら、これほど傍迷惑なヤツはいません。
「あのう、このやり方、良くないと思うのですが?」「馬鹿言え。俺は何十年このやり方で通して来たんだ!」
むむう。何十年も進化・成長して来なかったのかぁ。馬鹿は死ななきゃ治らないな。

その点、すこし鈍な阿呆に見えると得ですね。
阿呆に見えて、実際阿呆なら、人は難題押し付けませんし、迷惑もかからない。
親切な人や思いやりのある人がいたら援助してくれる。
いつも、ニコニコ笑っていられる。 幸せでしょ?

阿呆に見えて、実際利口にできたら、もう、拍手喝采。
偉いヤツだ。謙虚で立派だ。さすが、能ある鷹は爪を隠す、人の鑑よ、と誉められます。
私は、皆さんに、アホーマンスをお勧めします。