身近な仏教用語

20:縁起と因・縁

コメント

朝、久しぶりに焙じ番茶を淹れたら、茶柱が立った。^^
おお。これは、縁起が良いわい。
ずっと不如意な私も元気に立つ予兆か?(自爆)
それとも、「久しぶりにやってみなさい。善は急げ。」という天のお告げか?

「縁起」とは、現代では、前兆、予兆、幸先という意味でよく使う日本語ですね。

仏教語では、一切の物事の起源・由来を意味し、宇宙の万物の生滅変化を貫く理法のことで、
サンスクリット語の pratitya-samut pada の意訳で、「因縁生起 (いんねんしょうき) 」の略です。

全ての物事は「因」と「縁」から生起するのだということ。

「因」とは、直接原因のことで、「縁」とは間接条件のことを意味します。

仏教では、「縁起」と云うくらい、「縁」の方を強調していますね。

間接条件である「縁」は、さまざまな複合要因が重なり解明しにくい上に、
多くは見落とされがちになるからでしょう。

縁とはまさに「妙」なるものです。

私がここにこうしているのも、あなたがそこにそうして在るのも、縁の妙。^^

種子を蒔いて発芽するのも、水や温度や光や土の条件という「縁」によります。

こうした(された)から、こうなったのも縁。
ああしなかった(されなかった)から、こうなったのも縁。

在るがままを受け容れた上で、した(できた)こと、援助されたこと、
邪魔されなかったことに感謝し、ここから精進(正しい努力)し、適応と進化を目指すことが、
仏の教えだと思います。

他のせいにして攻撃したり、為すべきことをしない言い訳にするのではなく、
縁に応じて、縁を大事に、分を尽くすことにしましょう。^^

「因縁」と言うと、このように仏教語では、物事が起こるために働くと考えられる、
直接・間接の、全ての原因と条件を指す言葉なのですが、現代語では、
他の3つほどの意味に使われていますね。

1.前から定まっていると考えられる運命。宿命。
(男に生まれたのは宿命だけど、どう人として生きるか、命を運ぶのが運命ですよ。^^)

2.運命が結びつけた関係。ゆかり。(ゆかりは、縁や所縁と書くなあ。^^)

3.無理な言いがかり。
(私が時に因縁つけると、呪いよ、タタリよと言われる。因果だなあ。^^;)

さて、このページを見られたのも、縁の妙。^^
読んでいただいて、ありがとうございました。
お役に立てることがあれば、幸いです。
あ。茶柱、立ったの、そういう意味か?(笑)