身近な仏教用語

21:苦しみと断末魔

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久しくカラオケも行ってないなあ。。声を出すのは、健康にもいいんだけど、独りで行くのは寂しいなあ。

ところで、こんな歌を知ってますか?

「防人の詩」

さだまさし作詞作曲
おしえてください
この世に生きとし生けるものの
すべての生命に 限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
風はどうですか 空もそうですか
おしえてください

私は時折 苦しみについて考えます
誰もが等しく抱いた悲しみについて
生きる苦しみと 老いてゆく悲しみと
病いの苦しみと 死にゆく悲しみと
いまの自分と

答えてください
この世のありとあらゆるものの
すべての生命に約束があるのなら
春は死にますか 秋は死にますか
夏が去る様に 冬が来る様に
みんな逝くのですか

わずかな生命のきらめきを 信じていいですか
言葉で見えない 望みといったものを
去る人があれば 来る人もあって
欠けてゆく月も やがて満ちて来る
なりわいの中で

おしえてください
この世に生きとし生けるものの
すべての生命に限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
春は死にますか 秋は死にますか
愛は死にますか 心は死にますか
私の大切な故郷もみんな 逝ってしまいますか

海は死にますか 山は死にますか
春は死にますか 秋は死にますか
愛は死にますか 心は死にますか
私の大切な故郷もみんな 逝ってしまいますか

諸行無常の詩ですね。
グレたいときに、歌いたくなる。(自爆)
「死に」や「逝っ」は、縁起が悪かろうと、そこを「グレ」に替えて熱唱したもんだ。

私も、時折、苦しみについて考えます♪

「人生、四苦八苦」と言いますが、四苦というのは四つの苦しみ、
すなわち、根本的な苦である生(しょう)・老(ろう)・病(びょう)・死(し)のことを指します。

この四つの苦しみは何人(なんびと)たりとも、生きとし生けるもの全てが避けることのできないものですね。

この世に生をうけるということは、また老・病・死の苦しみをうけることでもあります。

生命が胚芽に宿り、母の胎内でうとうととまどろみつつ、温かいぬくもりに守られてきた胎児は、
誕生と同時に、光溢れる外界へと追い出され、重力に支配され、呼吸も自分でせねばならず、
必死で生きるために食事もとらねばならなくなります。

四苦を一つずつ独立したものと見ず、生まれて、老いて、病気になり、そして死ぬ。
それが人間という存在に限らず、すべての生物にとっての運命的な苦しみなのです。

八苦というのは、この四苦に、愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、
求不得苦(ぐふとくく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)の四つの苦を加えたものです。

愛別離苦とは、愛するものと別離することの苦しみ。
親子も、夫婦も、最期は死によって、永の別れとなりますね。
生き別れなんて、世の中、諸縁、ざら、ざら、ざら。(笑)

怨憎会苦というのは、嫌悪する人や事と会うことの苦しみ。
自分が敵意を持たずとも、勝手に恨まれ、憎まれ、嫌われることはよくあることです。
憎悪に憎悪を、嫌悪に嫌悪で反応すると、その作用は相乗効果。

求不得苦というのは、欲しくても手に入れることができない苦しみ。
愛し好むがゆえに求めるし、慾にキリはなく、求めるほど不満が残ったり、さらに求めてしまう。
だから、求めないようにしようっと思って、悶々として、また苦しんでしまう。
ああ、ジレンマの悪循環。^^;

五蘊盛苦というのは、人間の身心を構成している五要素から生じる苦しみ。
五蘊とは、(1)物質的なもの(色)、(2)感受作用(受)、(3)表象作用(想)、
(4)潜在的心作用(行)、(5)認識作用(識)の五つの構成要素から成り立っているとされます。

諸々のものに触れ、ことにつき、感じ、考え、苦を受けてしまうのが、人間ですね。

苦というのはサンスクリット語のドゥッカ(duhkha パーリ語 dukkha)の漢訳語ですが、
四苦八苦にあたるサンスクリット語はないようです。

したがって、仏教学者たちの説いた大乗仏典の教え(方便)なのでしょう。

さて、最期の苦しみを断末摩と言いますが、断末摩(断末魔とも音訳する)とは、
サンスクリットのマルマッチェーダ(marma-ccheda)の訳で、「マルマンを切ること」という意味になります。

サンスクリット語のマルマン(marman)の音訳が末摩で、死穴、死節とも意訳されます。

古代インドの医学書によれば、身体の中にはマルマンという、
生命をつかさどる十か所の中枢部があって、そこを傷つけられたら死ぬと考えられていました。

マルマンの数については、十か所という説の他にも、
64か所、あるいは120か所という説もあり、その他にも諸説あり、経絡よりええ加減。

ま、拳法などの急所と捉えるといいです。

マルマンは「ムリ」(「死ぬ」という意味)という動詞語根からできた名詞だそうです。

そこを断たれたら死ぬということで、点じて、
人が死ぬ時の最後の苦しみを断末摩というようになったようですね。

母の断末摩にも立ち会ったけど、明日は我が身と覚悟して、見事に散りたいし、
よろこびと楽しみの想い出を、いっぱい創って生きたいものです。