身近な仏教用語

26:お盆

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「盆と正月」という言葉が聞かれるほど、日本人にとってお盆は大切な行事と考えられています。
このとき、どこも休みに入り、家族親族がみな集まってくるので、めでたい行事ではありますね。

お盆の正式名称は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と言います。
「盂蘭盆会」とは、インドのサンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音写したもので、
転じて「逆さまに釣り下げられるような苦しみにあっている人を救う法要」という意味です。

このお盆の行事は、お釈迦さまの弟子の一人、目連尊者(もくれんそんじゃ)が母を救う話に由来しています。

目連尊者はある時、修行によって得た神通力によって、亡き母が餓鬼道に落ちていて、逆さ吊りにされて
苦しんでいると知りました。
そこで、どうしたら母親を救えるのか、お師匠様のお釈迦様に相談したところ、
お釈迦様はこう言われました。

「夏の修行が終った7月15日に僧侶を招き、多くの供物をささげて供養すれば母を救うことが出来るであろう」と。

目連尊者がお釈迦様の教えのままにしたところ、その功徳によって母親は極楽往生がとげられたとのことです。

それ以来(旧暦)7月15日は、父母や先祖に報恩感謝をささげ、供養をつむ重要な日となりました。

7月は未の月ですが、運気論でも、未・戌・丑・辰は十二運の墓を含み、墓の十二運に巡るとき、
先祖・神仏の次元との距離が近づく時といいます。
(確かに実践でも墓の月に、供養や神仏事を行動課題として用いると、効果的な結果が出ることが多いものですよ。^^)

わが国初の盂蘭盆会は、朝廷で行われたのは、推古天皇(606年)14年7月15日に朝廷行事として、斎会を設けたのが初めてとされ、
斎明天皇(657年)の御世にも、3年7月15日に飛鳥寺で、盂蘭盆会が催されたとの記述があります。

江戸時代以前のお盆行事は、武家、貴族、僧侶、宮廷の上層階級で主に催され、一般庶民に広まったのは江戸時代のようです。
江戸時代に入ると庶民の間にも仏壇やお盆行事が普及し、又、ローソクが大量生産によって安価に入手できるようになってから、提灯がお盆にも広く用いられるようになりました。

古くからの農耕儀礼や祖霊祭祀などが融合して伝えられてきたのが、日本のお盆行事です。

今日でも、一般的に先祖の霊が帰ってくると考えられていますが、お盆の習わしも、地域や宗教・宗派によって、
あるいはその時代によって、 さまざまに形を変えながら伝えられて来たものですね。

その意味では、お盆行事はこれが絶対などといういう決まりはありません。
しかし、家族や親族が一堂に会し、先祖や故人を偲び、今日ある自分をかえりみるという、 お盆の根幹をなす理念は、
千古の昔から変わらないものであり、素晴らしい文化だといっていいでしょう。

本来のお盆は、先祖の精霊を迎え、追善の供養をする期間を「お盆」と呼びます。
その期間は、元来旧暦7月13日より16日までの4日間でしたが、現代は多く8月がお盆休みとなっていますね。
2008年では、たまたま8月13日は、旧暦の7月13日に一致していますが。
こだわらない、こだわらない。^^;。

先ず13日の夕方に迎え火を焚き、先祖の霊を迎えます。
期間中には、僧侶を招いたり、家族親族が集まって、お経や飲食の先祖供養をします。

フィナーレは16日の夕方、送り火を焚き、御先祖さまにお帰りいただきます。
京都では、毎年8月16日に五山送りが、赤々と東山連峰の夜空を照らし出します。^^
私は、浴衣掛けで、酒を片手に、我が身を通じて先祖が飲むのよと、大文字と鳥居形を眺めつつ、
夏の夜のひと時を過ごすのです。(笑)

とにもかくにも、お盆(盂蘭盆会)は、先祖や亡くなった人たちが苦しむことなく、成仏してくれるようにと、
私たち子孫が、報恩の供養をする時なのです。

実家がなかったり、親族が離散している人も多いはず。
でも、仏壇や墓がなくても、気は心。お盆は供養のシーズンです。
DNAを受け継いだ先祖への感謝は捧げてもバチは当らない。(笑)

部屋の中に盆棚に見立てたコーナーをつくり、お盆の風情を味わって、
心を鎮めるのもよろしきことかと?^^ 干菓子や果物を盆に盛り、キキョウ、萩、ホオズキなどお盆につきものの花や、先祖の霊が乗るといわれる、 キュウリやナスビで作った馬や牛を飾ったりすると、お盆風情が味わえます。

お盆の期間は、これに毎日お水やお茶を供えて、お線香を焚き、亡き祖父母や遠く離れたご先祖様の霊に、手を合わせてみてください。
きっと心は安らかになり、穏やかな気持ちになることでしょう。
亡き祖父母に語りかけるようにしても、精神病院には通報されません。(笑)
ひょっとしたら、陰徳に応じた陽報があるかも?^^