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28:干支(えと)について

干支(えと)について
あなたの「えと」は何ですか?
そう信販会社の人から訊かれて、「甲午です。」と答えたのですが、
普通は、「午」と十二支だけを答えるようですね。

「えと」は、漢字で「干支」と書きますので、60干支のいずれかで答えるのが正しいはず。
どうも、奇異な顔をされるのは、釈然としませぬ。

「えと」という和語は、「え」は「兄(え)」、「と」は「弟(おと)」の意味です。

順序であり、陰陽も含んでいますが、「干・支」を「え・と」とは読みません。
あくまで、「干支」を「えと」と略して呼んでいるような?^^;

これも、地名などには、ままあることですね。
京都で例を示すなら、国道一号を郊外へ南下するとある「一口」と書いて、「いもあらい」。
丹後半島では、「間人」と書いて「たいざ」(間人親王が滞在してたから)。

まず、「干」は、十干(じゅっかん)に分類されます。

すなわち、甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)の10種類です。

始まりは、中国の殷の時代からで、十日ごとに循環する日を表示する数詞として用いられていました。

これが、周の時代になると、十二支と組み合わされて年と日とを表すようになります。

やがて、漢の時代(一説には戦国時代)になると、陰陽五行説の五行、"木火土金水"と結合します。
結果、木(甲乙)・火(丙丁)・土(戊己)・金(庚辛)・水(壬癸)のように二つずつ五行に配当され、
さらに二つは、五行各々の陽すなわち兄(え)と、陰すなわち弟(と)を示すとされました。

日本では、その意味を汲んで、訓読みされています。
木の陽陰は、甲(きのえ)、乙(きのと)
火の陽陰は、丙(ひのえ)、丁(ひのと)
土の陽陰は、戊(つちのえ)、己(つちのと)
金の陽陰は、庚(かのえ)、辛(かのと)
水の陽陰は、壬(みずのえ)、癸(みずのと)と読まれていますね。

そして、十干は年と日を示すほか、種々の分類記号としても用いられ、昔は学業成績などの表示に使用されていました。
こうなると、陰陽五行もなく、意味も失われ、高い低いの順序のように誤解されてしまう。^^;

干支はこの十干に十二支を順に組み合わせたものです。

甲子(きのえね)、乙丑(きのとうし)、丙寅(ひのえとら)と続き、壬戌(みずのえいぬ)、癸亥(みずのとい)まで
60の組み合わせがつくられ、年月日、時刻、方位などを表わす名称として用いられたのです。

年で云うと、60年毎に同じ干支になることから、60歳になるときを「還暦」。
同じ干支の年に還るという意味で使われる言葉です。

ただ、現在では、何故にか十干を省いて十二支だけで表わしたものを「えと」と
呼ぶようになっちまいました。^^;

歴史では、日本の「壬申(じんしん)の乱」、「戊辰(ぼしん)の役(えき)」など、
中国でも「辛亥(しんがい)革命」なんて習ったはずですが、当にその干支の年の出来事を指しています。

さて、干支(えと)の「支」には、
子(し)丑(ちゅう)寅(いん)卯(ぼう)辰(しん)巳(し)午(ご)未(び)申(しん)酉(ゆう)戌(じゅつ)亥(がい)
の十二支があるのですが・・・
中国では、この十二支に、各々、鼠・牛・虎・兎・龍・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・猪
の十二のモノがあてられました。

この時期は戦国時代(B.C.五〜B.C.三世紀)と言われますが、理由は不明なのですよ。

これが日本に入って来て、十二支は、「ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い」
と言う呼称が出来たのです。

ゆえに、「子年の人は、ちょろちょろネズミのようによく動くが、金をよく貯める」とか、
「巳年の人は、ヘビのように執念深い」とかいう迷信!が生まれたのでしょう。^^;

ところで、干支の支は、なぜ十二に分類されたのでしょうね?

一説には、中国では木星が天球の黄道を約12年かけて一周するため、一年を秩序だてる星として観測が重視され、
歳星あるいは太歳と呼ばれていたのですが、この木星の運行と関係して十二支が生まれたといわれています。

方位も、十二支で区分されます。

方位に使った語例は、現在まで、多々多々残っていますね。
子午線(しごせん)は北を表す"子"と南を表す"午"を結ぶ線の意味です。
方位では、南東を辰巳=巽(たつみ)、北東を丑寅=艮(うしとら)、南西を未申=坤(ひつじさる)、北西を戌亥=乾(いぬい)と書きます。

江戸時代、「辰巳芸者」とは、深川の芸者を指した言葉ですが、これは、深川が江戸城の辰巳の方角にあたったので、こう呼ばれました。

時刻も十二支で区分されます。

コン、コン、コン、コン、釘を刺す♪で有名な「丑の刻参り」は、正に丑の刻の午前2時に行われるもの(コワイ笑)。

丑寅は、時刻でいうと、午前1時から5時で、東雲が太陽を孕んでいる時に当り、
まさに太陽の生まれる払暁であるから、風水用語で「生門(きもん)」と呼びました。
陰極まって陽を生じるときなのですが、闇の支配する時刻でもあり、陰気は隠(おん=おに)、「き」は鬼と音が同じ。

ゆえに日本では、鬼の姿に、牛の角を生やし、虎のふんどしを締めた形を配し、
丑寅の方を、「鬼門」として、恐れるようになったのですねぇ。

恐れるも、怖れるも、はたまた懼れる(心配する)も、畏れる(かしこまる)も、オソレル心は、ヒト心なりけり。(笑)

おおー。もう、丑の刻じゃ。^^;
良い子は寝ないと、朝に障りが生じる。(爆)



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