身近な仏教用語

29:沙汰

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「ご無沙汰しています。」
日常、何気なく、よく使っている言葉ですが、この「沙汰」も仏教から出ています。

大辞泉によれば、「沙」は砂で、「汰」はより分ける意味とか。
この辞典には、5つの意味が記載されています。
(1)物事を処理すること。特に、物事の善悪・是非などを論じ定めること。裁定。裁決。裁判。
「地獄の沙汰も金次第。」
(2)決定したことなどを知らせること。通知。命令・指示。下知。
「詳細は、追って沙汰する。」「沙汰があるまで、待て。」
(3)便り。知らせ。音信。
「このところ、何の音沙汰もない。」
(4)話題として取り上げること。うわさにしること。
「世間に取り沙汰される。」
(5)問題となるような事件。その是非が問われるような行為。
「正気の沙汰ではない。」「警察沙汰」「色恋沙汰」「表沙汰になった。」

『仏教語大辞典』には「揀択遺棄の意。排斥。
沙金を淘汰して沙を捨て金をとることで、不要のものを去り、有用のものをとる吟味のこと」とし、
いくつかの仏典を示しています。

そしてさらに、「唐の武帝が考試によって僧をしらべ、真に僧たる学力を有する者以外は還俗させた会昌の排仏を
会昌沙汰という。」と紹介しています。
本来は字義通りに、選択沙汰の意味ですね。

二階の一室を片付けるに、物品を沙汰する。
何を沙汰するかは、追って沙汰する。
そのように沙汰があったのに、以降、何の沙汰もなし。
よって勝手に沙汰したが、大事なものを失くしたと取り沙汰されて口論沙汰になることもなく片付いた。
善哉、善哉。めでたしかな。
ふむ。日本語は、ややこしい。^^;