身近な仏教用語

30:有頂天

コメント

「有頂天(うちょうてん)」とは、嬉しくて夢中になっているさまのことを云いますが、
これもれっきとした仏教語ですね。
ときどき有頂点と書き誤る向きがありますが、点ではなく、天が正解です。^^
英語に変換すると、ecstasyになるのですが、エクスタシーとカタカナで書くと、
なんか違うような気がするのは、私だけ?^^;

仏教で言う「有頂天」とは、簡単に言うと天界の天辺(てっぺん)のことです。
天界は、天人や吉祥天などの神々の住む世界です。
ただし、仏教の神々は、輪廻する存在ですので、我々人間と同じく、やがては死ぬ運命にあります。
とはいえ、さすがに神々ですので、人が考え及ばぬほど長寿であることは間違いない存在です。

奈良県天川村には、日本最古の弁才天がお祀りされていますが、その存在が実感できるほど、
いまだに確かに生きてらっしゃいますね。^^
夜刀神は、今どこでどうしてらっしゃることであろうか?
縄文時代や古代インカの神々はやはりもう神去り、滅んだ存在なのかも?

さて、仏教では、神々の住処である天界を、3つの等級に分けています。
1.欲界・・・・淫欲・食欲の2欲を有するものの住む世界で、我々人間界はここにありんす。
2.色界・・・・この色(しき)とは物質のことで、2欲を離れた天人が住む世界がここです。
3.無色界・・・無色(むしき)とは物質を離れた世界で、もはや肉体も脱した純粋精神の世界。
神々の領域はここですね。

この最上界にある無色界は、さらに4つの等級に分かれています。
1.空無辺処天(くうむへんじょてん)
2.識無辺処天(しきむへんじょてん)
3.無所有処天(むしょうしょてん)
4.非想非非想処天(ひそうひひそうしょてん)・・・これ、これ。これが、有頂天ですよ。^^

無念無想になって、徹底した無執着の世界が無所有処天ですが、無念無想も超越し、

無念(=非想)への執着も否定した非非想の世界、これが天界の最高処である非想非非想処天
つまり有頂天なのです。
ああ、ややこしい。^^;

実は、仏教では、禅定(ぜんじょう)すなわち瞑想という手段で、人間はこれらの天界に到達できるのだ、
と説いているのです。

天にも昇る心地がする、という言葉もありますが、私の語感では、これこそ「エクスタシー」ですよね。
喜びにつけ、得意になるにつけても、「有頂天」には割りと簡単になるようですが、本来の意味では、
それほどたやすく、楽には到達できない境地ですね。^^;